2011年 02月 28日
縄文式ねずみ土器 |
縄文人は実に器用であった。
友人に誘われて、縄文式土器をこしらえに出かけてきた。
友人母子の陶芸の先生が、年に2回開いている縄文土器の野焼き体験会があるのだ。4月に焼くことになっているので、今回は土器を作る日。
相模線で友人と待ち合わせてことこと上り、途中の駅で母上に車で迎えに来てもらって七沢森林公園へ。公園内にある「森のアトリエ」という施設で体験陶芸が行われている。
先生はきれいな総白髪のおかっぱ。魔女のようだ。いい方の、白魔女。魔法の手を持っている。私がにっちもさっちもいかなくなっても、先生がさわるとするする土が言うことを聞く。
私はノープランで来たのだが、ねずみがうじゃうじゃついた米を入れる器、をこさえることに決める。(米の器にねずみはなかろうよ)
縄文式の作り方なので、今までやった陶芸とちょこっと違う。
もらった土に謎の白い粉(焼いた土を砕いたものらしい)を混ぜて練る。最初は平練り、次に菊練り。土を均一にし、空気を抜く。
糸で切り出した土をとってきれいに団子に丸め、ひびはていねいに埋める。これをろくろにのせ平たく叩いて丸く切り出して底をつくる。フチをつまんで灰皿状に立ち上げる。
まただんごを作り、これを転がして卵形にしたら手の平でぐいぐい押して棒状にする。台でアイスボックスクッキーの要領で転がし(陶芸にはうどん打ちや製菓・製パンの経験が非常に役に立つ)、3cm径の棒状にする。これを平たい石で端からとんとんと叩いて1cmくらいの厚さにする。同時に土が締まる。
この帯の端を竹べらで切り落とし、底の内側にくっつけつつぐるりと一周巻く。気がはやって先に輪をつくってしまうとひびが入るので、少しずつ、くっつけながらていねいに。巻き終わりは内側に入れて切り落とし、指でぐいっとなすってくっつける。まずは外側、底からなすりあげながら一周。次に内側、外周を手でくるみこむように支え、内側に親指を入れて上からなすりおろしてくっつけていく。指の後を半本分ずつ重ねるようにつなげてなすっていくと、境目が出来ず空気が入らない。何しろ、空気やひびがあると焼いたときに割れたり破裂するおそれがあるので、ていねいに。
くっつかたら、外側と内側に石を持って生地をはさみ、同時にとん、とん、と叩いてぐるり一周、平均に土を締める。
一段目ができたら同じように帯を作って積んでいくのだが、二段目からは手前のフチを石で45度の角度に端からとんとん、と叩いて角度をつけ、そこを一段目の内側にくっつけて巻いていく。輪のとじ目をとめ、外側、内側となすりつけて二段目。そして一段目の同じようにぐるりと石で内外から叩いて締める。(次のつなぎ目になるフチは叩かない)内側に、内側に、と積んでいくのでなにも考えないとタケノコのような先細りになっていってしまう。石で締めるときに、上を広げていく感じでやるらしいのだが、そこんとこがどうもわからず、後で魔女先生の魔法の手で直してもらった。あとはこの繰り返しで積み、叩いて締め、ヒビなどをなすってならし、全体を形作ってベースのできあがり。
どうです、何をっ言っているかさっぱりわからないでしょう。私の覚え書きなので気にすんな。
へとへとになってお昼休み。集中力が切れてきて腹が減ったので、休憩がうれしくて異様にテンションが上がる。あったかいので外の広場のベンチでたべる。
あんまりゆっくりしているとすこしも飾りがないままに時間が来てしまうのでさっさとごはんを食べ、作業に戻る。午後はたのしい飾り付け作業。それこそ縄を押しつけて模様を付ける「縄文」だとか、胡桃を押しつける、だとか、へらで彫る、ひもをくっつける、など。
私はぐるりに縄文をつけ、くるみで後をちょんちょんと捺し、小さいねずみを8匹こしらえてひっつける。ねずみを作るのはとても楽しい。永遠に作っていられそうな気がする。
部品を付けるときには、土台と部品の両方にへらで傷をつけ、水で練って柔らかくした粘土をたっぷりめに土台につけたら土台をぎゅっとひっつける。はみ出した粘土を箸の先などですき間になすり、なめらかに埋めていく。これをていねいにしないと爆ぜたり、ぽろっととれたりする。
ここまでやったがなんだかダイナミックさが足りず、縄文式というよりローマふうになって物足りない。私はなんて器の小さい人間なのだろうと嘆く。ふちにひもと三角をくっつけて穴を開けたりして、どうにか縄文ふうにでっち上げた。
縄文の後、弥生時代に入るともっと高温で焼けるようになり、薄くて固くシンプルなデザインの器にかわっていく。技術の進歩もあろうが、たぶん縄文人の方がヒマだったのだ。だから日がな一日、ひもをくっつけたりごちゃごちゃした模様を彫り込んだりしていたのだ。きっと。
もしくは、弥生人が「ごちゃごちゃしてると洗いにくいんだよ!カレーとか溝に入っちゃうし」とキレたのだ。
友人は四苦八苦したあげく器に謎の宇宙人ふうの顔をつけ、それがどうにも本人に似ている。創作とはそういうものなのかもしれぬ。
母上は長くやっているせいもあり、非常に美しくなめらかに仕上げている。灯り取りにするのだという縄文人の女性。あのひとの指はたぶんテフロン加工だ。クッキーやアイシングをする時には、しばしば指紋が憎くなる。
なんとか時間内に仕上げて提出し、終了。できたものは4月まで保管され、野焼きで焼成される。たのしみなり。
昼間は暖かだったのに、夕方すっかり冷えてきた。
やっぱり山なんだなあ。
友人に誘われて、縄文式土器をこしらえに出かけてきた。
友人母子の陶芸の先生が、年に2回開いている縄文土器の野焼き体験会があるのだ。4月に焼くことになっているので、今回は土器を作る日。
相模線で友人と待ち合わせてことこと上り、途中の駅で母上に車で迎えに来てもらって七沢森林公園へ。公園内にある「森のアトリエ」という施設で体験陶芸が行われている。
先生はきれいな総白髪のおかっぱ。魔女のようだ。いい方の、白魔女。魔法の手を持っている。私がにっちもさっちもいかなくなっても、先生がさわるとするする土が言うことを聞く。
私はノープランで来たのだが、ねずみがうじゃうじゃついた米を入れる器、をこさえることに決める。(米の器にねずみはなかろうよ)
縄文式の作り方なので、今までやった陶芸とちょこっと違う。
もらった土に謎の白い粉(焼いた土を砕いたものらしい)を混ぜて練る。最初は平練り、次に菊練り。土を均一にし、空気を抜く。
糸で切り出した土をとってきれいに団子に丸め、ひびはていねいに埋める。これをろくろにのせ平たく叩いて丸く切り出して底をつくる。フチをつまんで灰皿状に立ち上げる。
まただんごを作り、これを転がして卵形にしたら手の平でぐいぐい押して棒状にする。台でアイスボックスクッキーの要領で転がし(陶芸にはうどん打ちや製菓・製パンの経験が非常に役に立つ)、3cm径の棒状にする。これを平たい石で端からとんとんと叩いて1cmくらいの厚さにする。同時に土が締まる。
この帯の端を竹べらで切り落とし、底の内側にくっつけつつぐるりと一周巻く。気がはやって先に輪をつくってしまうとひびが入るので、少しずつ、くっつけながらていねいに。巻き終わりは内側に入れて切り落とし、指でぐいっとなすってくっつける。まずは外側、底からなすりあげながら一周。次に内側、外周を手でくるみこむように支え、内側に親指を入れて上からなすりおろしてくっつけていく。指の後を半本分ずつ重ねるようにつなげてなすっていくと、境目が出来ず空気が入らない。何しろ、空気やひびがあると焼いたときに割れたり破裂するおそれがあるので、ていねいに。
くっつかたら、外側と内側に石を持って生地をはさみ、同時にとん、とん、と叩いてぐるり一周、平均に土を締める。
一段目ができたら同じように帯を作って積んでいくのだが、二段目からは手前のフチを石で45度の角度に端からとんとん、と叩いて角度をつけ、そこを一段目の内側にくっつけて巻いていく。輪のとじ目をとめ、外側、内側となすりつけて二段目。そして一段目の同じようにぐるりと石で内外から叩いて締める。(次のつなぎ目になるフチは叩かない)内側に、内側に、と積んでいくのでなにも考えないとタケノコのような先細りになっていってしまう。石で締めるときに、上を広げていく感じでやるらしいのだが、そこんとこがどうもわからず、後で魔女先生の魔法の手で直してもらった。あとはこの繰り返しで積み、叩いて締め、ヒビなどをなすってならし、全体を形作ってベースのできあがり。
どうです、何をっ言っているかさっぱりわからないでしょう。私の覚え書きなので気にすんな。
へとへとになってお昼休み。集中力が切れてきて腹が減ったので、休憩がうれしくて異様にテンションが上がる。あったかいので外の広場のベンチでたべる。
あんまりゆっくりしているとすこしも飾りがないままに時間が来てしまうのでさっさとごはんを食べ、作業に戻る。午後はたのしい飾り付け作業。それこそ縄を押しつけて模様を付ける「縄文」だとか、胡桃を押しつける、だとか、へらで彫る、ひもをくっつける、など。
私はぐるりに縄文をつけ、くるみで後をちょんちょんと捺し、小さいねずみを8匹こしらえてひっつける。ねずみを作るのはとても楽しい。永遠に作っていられそうな気がする。
部品を付けるときには、土台と部品の両方にへらで傷をつけ、水で練って柔らかくした粘土をたっぷりめに土台につけたら土台をぎゅっとひっつける。はみ出した粘土を箸の先などですき間になすり、なめらかに埋めていく。これをていねいにしないと爆ぜたり、ぽろっととれたりする。
ここまでやったがなんだかダイナミックさが足りず、縄文式というよりローマふうになって物足りない。私はなんて器の小さい人間なのだろうと嘆く。ふちにひもと三角をくっつけて穴を開けたりして、どうにか縄文ふうにでっち上げた。
縄文の後、弥生時代に入るともっと高温で焼けるようになり、薄くて固くシンプルなデザインの器にかわっていく。技術の進歩もあろうが、たぶん縄文人の方がヒマだったのだ。だから日がな一日、ひもをくっつけたりごちゃごちゃした模様を彫り込んだりしていたのだ。きっと。
もしくは、弥生人が「ごちゃごちゃしてると洗いにくいんだよ!カレーとか溝に入っちゃうし」とキレたのだ。
友人は四苦八苦したあげく器に謎の宇宙人ふうの顔をつけ、それがどうにも本人に似ている。創作とはそういうものなのかもしれぬ。
母上は長くやっているせいもあり、非常に美しくなめらかに仕上げている。灯り取りにするのだという縄文人の女性。あのひとの指はたぶんテフロン加工だ。クッキーやアイシングをする時には、しばしば指紋が憎くなる。
なんとか時間内に仕上げて提出し、終了。できたものは4月まで保管され、野焼きで焼成される。たのしみなり。
昼間は暖かだったのに、夕方すっかり冷えてきた。
やっぱり山なんだなあ。
by shizumin_exite
| 2011-02-28 11:19
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